日本乳癌学会 留学体験記
Human Epidermal Growth Factor Receptor Group, Department of Oncology, The Weatherall Institute of Molecular Medicine, The University of Oxford
橋本 堅治
大学院3年生
(1) 留学を決意したきっかけ
2004年群馬大学を卒業後、3年の初期研修を経て、国立がんセンター中央病院で腫瘍内科レジデントを3年、その後乳腺腫瘍内科のチーフレジデントを1年半行い、現在オックスフォード大学で大学院生としてTranslational Researchを行っています。国立がんセンターにきた2007年は腎がんに対する分子標的薬が次々と登場するのを目の当たりにし、がん治療の新時代が来ているのだと実感しました。ところが当時の日本は、こうした時代の流れに少し乗り遅れていると感じざるを得ませんでした。従来の抗がん剤を組み合わせたような臨床試験はやや時代遅れな感じを受けましたし、かといってアメリカのような新規抗がん剤を組み合わせた臨床試験を次々とは行えない現状に、日本中の腫瘍内科医がもどかしさを感じていたのではないかと思います。そのような折当時の乳腺腫瘍内科ではPhase I試験を行っていく事に、科の方針を切り変えました。私がそこで感じたのは、現代のPhase Iは臨床のチームだけではなく、そこにScientistやbioinformaticianを巻き込んで、チームが全力で次のPhase IIへ押し上げる根拠を見出していかなければ、結局は企業のためのPhase Iチームでしかないというものでした。と同時に、アメリカにはないオリジナルなものを考えていかなければ、サイエンス、医学で日本は時代に遅れてしまうのではないか?とレジデントながらに感じました。そのような折、イギリスは昔から、個人の発想と研究を重んじる伝統があることと、当時がん研究に巨額の費用を投じていることをしっていたこと、などからイギリスで今後の臨床におけるアイデアを探しにいこう、という気持ちでイギリスの施設をあたることにしました。また、私は基礎研究の経験がなかったのですが、今後のがん臨床において基礎研究の知識は絶対に必要になると考えたため、トランスレーショナルリサーチを行っているところをgoogleし、当直中に手当たり次第20通くらいメールを送りました。留学する1年半くらい前のことです。
(2) 留学先が決まるまで
すると、一件のメールが返信され、受け入れ可能との返事をもらいました。私は大学院には興味がなかったのですが、現在のsupervisorにあたるDr. Anthony Kongより、DPhil (PhDの事) をもっていないなら一緒に取ったら?という話をもらいました。ここから留学開始までの試練が始まりました。オックスフォード大学で大学院博士課程に入るには3年間の学費(およそ1000万円)とその生活費を払える証明を出さなければなりません。また80%の学生は奨学金で生活をしています。そこで自身もいろいろと当り、何とかこの条件をクリアしました。またポスドクで留学する場合には条件はありませんが、大学院の場合はIELTSという英語検定ですべての項目で7.5をクリアしていないといけません。何度もテストを受けて何とかクリアし、電話での面接をパスし、妻を説得し(一番の難関でした) 無事2011年10月よりオックスフォードでの大学院生活を開始しました。
(3) 現在の留学生活
現在ラボでは細胞を使いハーセプチンについての研究をしています。私が感じることは基礎レベルでのサイエンスは日本と同等、あるいは日本の方が進んでいるということです。しかしシステムに関して言えば、こちらの方が進んでいるといえるかもしれません。例えば、私もこちらに来て乳がんの臨床試験グループのメンバーとして会議に参加する機会があるのですが、彼らのやろうとしていることは数千人規模の臨床試験であり、また試験に付随するサンプルの収集を忘れないことです。そしてそのサンプルは、すべての研究者に対してオープンとしている事です。彼らのやろうとしていることは10-20年後の研究者にも患者にも役立てる臨床研究を計画しようとしていることです。臨床試験で集められたサンプルは、アプリケーションを提出して承認されれば使用できます。イギリス国内でもBreast Cancer Campaignに申請書を出せば、各大学から提供された乳がん検体を使用できることなどから、トランスレーショナルリサーチをしやすい環境がここにはあると感じます。臨床と研究の距離が日本に比べ非常に近いと感じます。またイギリスの研究者や臨床試験グループの臨床研究者が口をそろえて言うのは、お金はないけどアイデアがあればお金は後からついてくる、だからアイデアを出し合うことに対して妥協してはいけない、ということです。 オックスフォード大学は大学という物体自体は存在しません。40以上に及ぶカレッジ(学寮)と学科、研究施設、病院などを総称してオックスフォード大学と呼ばれています。大学院生の場合、学部とカレッジに所属します。カレッジの主な役割は学生に住居と食事、ソーシャルイベントを提供することです。大学院生にとっては重要なものではありませんが、カレッジによってはファミリー向けの住居をもっていない場合や、ソーシャルイベントなどが少ない場合もあるので個人個人の趣味で選べばよいと考えます。カレッジの大きなメリットは他の学部生と知り合えることです。学部(Division)の中にDepartmentがあり、2人のスーパーバイザーの指導の下研究をすることになります。また各学年のおわりに口頭試問があり、研究の進捗状況を評価されます。オックスフォードではラボ自体は小さくとも各ラボのコラボレーションが盛んで、小さなラボから大きなプロジェクトが動いていることも珍しくありません。私生活に関しては、最初のころは臨床の癖が抜けず、朝7時ころからラボに来て、遅く帰るという生活をしていましたが、2年の後すっかり現地人化してしまい、9時5時の生活になってしまいました。娘と妻の3人できたのですが、昨年双子の息子がこちらで生まれました。そのせいか、町を散歩すれば必ず誰かに声をかけられ、知らない人々と立ち話することも日常です。保育園の費用や、阿部政権による円安で生活は苦しくなるばかりですが、近所の人たちに支えられながら何とかやっている現状です。ただアメリカと違い日本人のコミュニティーは小規模ですので、日本人とはなかなか会う機会がありません。それでも研究者仲間の会などには時折顔を出すことで、ほかの人が何をしているのかを知ることができますし、こうした会は医学関係者以外の方々(医学、物理、化学、言語学、法律、経済、国際関係など様々)も来るので、大変興味深いものです。
(4) 日本の医療について思うこと
イギリスの医療は基本的に全額無料です。その為、治療の適応や薬剤の使用は厳しく定められています。例えば子供が発熱した場合でもまず薬が出ることはありませんし、正常妊娠であればエコーは妊娠経過中2回しかしません。またエコーも特別な異常がない限り助産師が行います。出産後数時間後には退院します。正常妊娠、分娩であれば医師に会うことはないでしょう。ところがリスクのある患者に対しては、しっかりとフォローするようになっており、例えば双子の妊娠では2週間に1回の通院を求められます。これは病院ごとに異なる取り決めではなく、NHSやNICE (イギリスの保健機関)がガイドラインを細かく出しており、このガイドラインに沿った診療が全国各地で行われています。このガイドラインはオンラインで公開されており、患者もしっかりと情報をキャッチできるようになっています。抗がん剤を例にとると、例えばハーセプチンはセカンドラインでは使用できません。日本のように、患者さんに抗がん剤を次々投与できない現状ですが、代わりに臨床試験や治験の選択肢があり、新規抗がん剤に患者さんはアクセスしやすいというメリットもあると感じます。例えば、HER2陽性乳がんの場合、転移再発であればタキサン+ハーセプチンが第一選択ですが、セカンドラインはカペシタビン+ラパチニブとなり、特別な理由がない限り医師による裁量が入る余地はありません。なぜなら、それ以外の治療を行うと、保険でカバーされなくなってしまうからです。サードラインは地域によって異なります。これは地方行政機関が抗がん剤を保険で賄うかどうかを決めているためで、オックスフォード州では患者ごとに申請書を出して認められれば行うことができます(通常認められるようです)。これらと並行して、1st-3rd lineまで臨床試験が走っており、eligibleであればそちらに入っていく事になります。日本との大きな違いは、抗がん剤の選択肢が限られること、また患者は必ず地域の中核病院(オックスフォード州ではオックスフォード大学病院しかありません)に紹介され、コンサルタントレベルの診療科の医師の診察を受けられること、医療者側からするとデータを収集しやすいこと、保険の関係もあり臨床試験(治験)があるということ自体が、患者の利益につながる可能性があること、などがあげられると思います。
(5) 今後のキャリアについてのヴィジョン
今後ですが、できればこちらで医師免許を取得し、少し臨床にどっぷりつかってみたいと考えています。日本の医師免許を登録することはできないので、いくつか試験を受けなければならず道のりは長いです。もう少し、新しい治療法を模索しながら滞在していくつもりです。将来的には私は、Clinician Scientistになりたいと考えています。イギリスでは医師免許を維持していくには臨床から離れられないシステムになっており、基礎研究を行う医師も週1回クリニックを行っていますし、病院やgrantのsponsorとの契約も1週間の時間を20%を臨床、80%を研究に費やすことなどとなっています (ただし臨床医として専門医のトレーニングを終えていることが条件です (約10年かかります))。このスタイルは日本ではあまり見かけませんが、基礎研究が臨床と常に近い場所にあるようにするための良い考えではないかと考えます。もし日本から声をかけていただくところがあれば、いつでも帰国したいと考えています。
(6) 国内の若手医師へのひとこと
この前サンアントニオに学会発表のために行きました。日本から来ていた多くのプレゼンテーターが自身のポスターの前を通る人に声をかけず、あるいは自分のポスターより少し離れた場所でじっとしている姿に大きな違和感を覚えました。ランゲージバリアがあることはわかりますが、少なくとも自分のポスターの前に立ち止まってくれた人には挨拶なり、目を合わせてにこっとするなり、Any questions?なりの言葉をかけるのが礼儀です。では自分が日本にいた時はどうしていたでしょうか?今回見かけた多くの方と同じことをしていたと思います。アメリカでは若手の医師はmentorを3人くらい持っていて、自分のキャリアを相談しながら成長していくという医師像があり、後輩たちも多くのよきロールモデルを見ながら成長していると感じました。翻って日本にいたとき、自分にもそのようなロールモデルがいたでしょうか?また、自分が今後よきロールモデルになれるでしょうか?私も卒後10年目でまだ若手ですので、自分自身に対していつも思っていることで締めくくりたいと思います。私自身は40歳、50歳を過ぎた時に、どういう環境でどういう仕事をしていられるかを考えて、今たとえ苦しくても先を見据えてやっていこうと、考えるようにしています。これは自分のキャリアパスが家族を犠牲にしては成り立たないことが3人の子供の世話をしながら実感しているからです。自分のできる範囲で臨床と研究をし、その結果をどのようにベッドサイドへフィードバックするか右往左往しながら私自身模索しています。様々な国籍の仲間と知り合い、日々研鑽することで、どこかで道が開くのではないかとうっすらと期待しております。 拙文を最後まで読んでいただきましてありがとうございます。
2014年02月10日掲載