国際委員会 留学体験記 徳留なほみ

日本乳癌学会 留学体験記

“You’re not a technician, you’re a scientist.”

徳留なほみ
ミシガン大学血液腫瘍内科リサーチフェロー

留学は、漠然とした夢でした。
ただ、あまりにも漠然としすぎていて、どうやって留学できるのか、なんてことは全然知らなかったのです。
興味があるから本屋さんで留学の本などを立ち読みしてみたことはあったけれど、まるでまるで意識高い優秀な方たちの意相当に識高いエッセイ集のようで、自分には正直ムリ、分不相応だ、とさえ思ったものでした。それでも、英語がらみの仕事は増えてきます。

英語の必要性は痛いほど感じて、日本で臨床医をしていた間、英会話学校に8年通いました。今にして思えば費やした金額で高級車くらい買えるかもしれません(買う気もないですが)。
ちらほらあった留学の話は全然実現する兆しもなく、仕事で留学はできなくても、少しでも英語力を上げたくて英会話留学もしてみました。 しかし、短期留学をしたところで英語の能力は上がるはずもないのです。 徐々に仕事は忙しくなってきます。そして、それと同時に何となく仕事上の責任、というか、「抜けられない空気」も増してきます。

そんな中でも自分なりに見よう見まねで勉強を続けた結果、海外の学会発表や論文に何となくついて行けているような気になってきました。 そしていつしか出た結論は、
「別に留学なんかしなくたっていいかな」
に変わっていたのでした。

転機は、突然やってきました。
「君は海外に行きなさい、そうだ、ミシガンだ」
忘れもしない、その一言から全てが始まりました。ちなみに、私の医師としてのキャリアは外科医からスタートして
います。 6年間の外科生活ののち、1年間病理の師匠のもとで乳腺の病理診断の基礎を学び、紆余曲折ののち、最終的には腫瘍内科と名乗るようになりました。ベーシックリサーチの経験は皆無でした。

そして、半年後の2011年10月1日、ミシガン州アナーバーにやってきました。 ミシガン大学でのポジションは血液腫瘍内科のリサーチフェロー、つまりポストドクトラルフェロー(ポスドク)です。 研究の内容は、ミシガン大学のバイオエンジニアリングラボと共同で血液中のCirculating tumor cellを検出するデバイスの開発、その臨床応用。日本人なんてひとりもいない中で、まさに多国籍のメンバーと打ち合わせをしながら作業を進めて行かなければならないわけです。

ryu04_01 ←ラボのメンバーに誕生日祝いをしてもらったときのもの

正直、最初に思ったこと。
「一体何をしろというのだ」

直面するのは言葉の問題や知識不足。 そして「日本人ならでは」の「遠慮」。 これらがセットになって立ちはだかります。

相手はそれこそメジャーなジャーナルにバンバン名前が出るような研究者ばかり。質問したくても言葉が出ません。 知識がないので細かいところのニュアンスを追求できない。 自分の知識不足にひるんで、その時点で分からなくても「後から調べて何とかしよう」と追求を諦めてしまいます。

しばらくたったとき、ボスに「ものすごく怒られ」ました。
別に怒声を浴びせられたわけではないのだけれども、図星過ぎてこてんぱんにやっつけられた、とでも言うべきでしょうか。
「日本人はpoliteだ。争いを好まない。いい人ぶる。それは美徳でもある。だけれども、分かっていないくせに分かったふりをするな。時間の無駄だ。分からなければ徹底的に聞きなさい。そして、自分の頭で考えなさい。君は技術者(technician)ではない。科学者(scientist)だろう」

それから、少しずつ、少しずつ前へ。
慣れない実験をし、夜学の英語クラスに通い、クラスが終わったらまた実験をし、実験の合間に山ほど出る英語クラスの宿題をする日々。
英語がわかるようになると周囲の思考パターンが読めてくるので、だんだん言っていることが理解できるようになってきます。 言っていることが分からないと「こういう理解で正しい?」と聞き直せるようにもなってきました。
「そんなことも知らないの?」的な顔をされるのにもすっかり平気になって、学会場で興味がある発表
の演者を捕まえて拙い英語で根掘り葉掘り質問しまくったりもできるようになりました。

ryu04_02←コメリカパークでの野球観戦

2年たっても、相変わらず英語は完全に分かるわけでもないですし、口を開けばおそらく小学生以下、そしてまだまだ怒られてばかりです。
でも、分かったことは自分の研究に一番詳しいのは自分だということです。 自分が勝手に抱いていたコンプレックスが、自分の世界を狭めていました。

今でもコンプレックスまみれです。
でも、それ以上に「それがどうした」と思えるくらい、面の皮が厚くなりました。
プレゼンをすれば「俺様の話を聞け」と本気で思っているのにも我ながら苦笑いです。

こうやって何とかかじりついてきたわけですが、何とか2年の間に実質私がPrincipal investigator(名目上はボスがPIでも、実働は私という意味で)の臨床試験のプロトコールを作り、ミシガン大学の倫理委員会に提出・承認いただき、臨床試験を実際に開始するという非常に貴重な経験をさせていただきました。まだまだ開始したばかりですし、これからまだ解決しなければならないことも沢山ありますが、2年たって急激に世界が広がったような気はします。そんなこんなで何とか留学生活を続けているわけですが、これから留学を考えている方に向けて何点か。 まず、よく聞かれる質問ですが、どうやって留学先を見つけるか。
一番オーソドックスなパターンは所属している医局の紹介だろうと思います。すでに前任者が留学中のことも多いので現地の情報も得やすく、日本語が通じる環境なので精神的にも負担が少ないのが大きな利点です。ただ、昨今の医局制度で医局に属していない先生の場合は難しいこともあるかもしれません。その場合、自分で留学先を見つける必要が出てきます。私の場合は最終的には紹介で留学することになりましたが、紹介いただくまでの約1年間、海外の学会や、海外からの招待演者がいる学会の際、留学したい先の先生に突撃して留学の可否を聞きまくっていました。その際に英文でのcurriculum vitae(CV)は最低限準備しておくべきです。それと、基礎系でも臨床系でも何らかの英文ペーパーがあったほうが話の糸口としては理想的です(当たり前ですが)。

ごく単純なアドバイスが2つだけあります。

  1.  英語はなんとかなる
    英語は話せるに越したことはありませんが、ただの道具にしか過ぎません(その前に、嫌でも話せるようになります)。勉強したいというスピリットが必要なだけです。下手な、間違った英語を話しても日本とは違って誰も笑いません。なので、英語ができないから留学できない、ということは本末転倒です。
  2. 年齢は関係ない
    どの年齢で行こうが得るものはあります。私の場合には専門医を全て取得してからの留学だったので、帰国時の就職の際に有利というのはあるかもしれません。ただし、年齢が上になればなるほど日本の助成金やグラントを貰うチャンスは減ります。また、経験がましてからだとある程度ポジションやら責任やら、人によっては家のローンやらがついているので、それでも行く、という勇気も必要になってきます。
  3. 軍資金は貯めておけ
    助成金やグラントが貰えれば大きなアドバンテージにはなりますが、これで100%自分の生活を賄えるとは限りません。単身ならともかく、ご家族がいらっしゃる場合には特に、です(ただ、実績に応じて後から給料の交渉をすることはできると思います)。潤沢な資金援助がある方は別ですが、不慣れな海外で生活資金がないというのは気持ちの上でとても辛いので、精神的な余裕を持つためにも、軍資金はあるにこしたことはありません。

ryu04_03 ←ミシガンスタジアムでのカレッジフットボール観戦

繰り返しになりますが、多少の勇気とか、踏ん切りとか、そういったものは必要にはなりますが、実際に足を踏み出しさえすれば留学というものはそんなに特別なことではありません。沢山悔しい思いをしたりすることはあったとしても、得るものはそれ以上に大きいですし、確実に新しい自分を発見したり、自分を成長させてくれたりするものであることは間違いがないと思います。
今回のこの文章が皆さんの参考になるかどうかはわかりませんが、ひとりでも多くの方が新しい世界に触れることを心から願って止みません。

2014年02月10日掲載

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